あちこちで出会ったもの・人・自然  


   能登半島地震の鎮魂と希望の灯り祭から      初めてのダンスパフォーマンス



   能登半島地震 被災地からの報告その2        能登半島地震 被災地からの報告!

 11月9日(晴れ)

 第一部は、日本のブルース「童謡」を唄い、
 地元の児童館に通う子供たちとも唄いました。
 第二部は「夢唄」。冬から始まり、四季毎の
 想いを唄い、バックの映像や照明も実に
 きれいな世界を醸し出していました。
 コンサートに先立ち、午前中には柳田保育所
 で、桜の苗木を園児と一緒に植樹してきました。
 
 今回のコンサート開催では、多くの人の力を
 いただきました。ここに皆様に厚くお礼申し上げ
 ます。
 4月28日 午前は大雨。夜は満月。

 宇都宮千佳さんは、金沢の浅野川別称「女川」
 に菜の花油の灯りをともす会の事務局も預かり、
 また、見えない夢幻の世界、人間のうちに秘めら
 れた女性的なもの、自然のリズムや心とからだの
 調和を大切にした活動を行っています。
 詳しくは、フリー百科事典『ウィキペディア』でも
 紹介されています。
 彼女との出会いは、しらいみちよコンサートで
 ありました。その後長い付き合いで、昨年は
 「あばれ祭り」にも来てくれました。
 避難所からの報告

 避難所は、公民館や集会所、小学
 校や保育所なで、公共的機関が
 充てられていました。
 水道と下水道の復旧がなるまでは、
 どの避難所も大勢の方々が来て
 いました。それらの復旧がなった所
 では、家が被害を受けていても、
 自宅へ帰られる方が多くなりました。
 家が壊滅状態の方は、今なお避難
 所生活が続いています。
 一刻も早い仮設住宅への入居が
 高齢者の声でした。
 避難所では、保健師が常駐し、お医
 者さんの巡回検診もありました。

       (下に続く)
 そうした中、子供たちに笑いを届けようと、
 折り紙作りのボランティアが来てくれたり、
 「元気を戻してほしい」と、焼き鳥のボランティア
 に、若者ら10人ほどが、テントを張って火を起こ
 し、暖かい焼き鳥を振舞ってくれました。
 このほかにも、いろんな形のボランティアがあり、
 そんな点、被災者にとっては和らぐ時間だったと
 思われます。 
 ところで今回の地震で被害が顕著に見られたのは
 家屋では棟瓦でした。それと下水のマンホールの
 箇所や、橋のコンクリートの部分。道路が沈んだ
 のかマンホールの場所が隆起したのか、構造物
 の箇所の隆起が目立ちました。
 4月3〜5日。ボランティアで、保健師とともに
 とある避難所に詰めていました。
 活動の合間をみて、被災状況を巡視してきまし
 が、人の多い日中にシャッターを押す気分になれ
 ませんでした。被災状況をカメラに収めたのも、
 早朝の人気のない時間帯。それほど、被災現場
 はものすごい状況でした。どうやって復旧するの
 だろうと、想像がつきません。
 でも、3日間の滞在でしたが、その間にも速やか
 に変わっていくのが感じ取れました。
 いろんな機関・団体・人・ボランティアなどの力の
 結束も感じました。大丈夫でしょう。元気な能登
 は必ずや戻ってきます。




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