木曽駒ケ岳・宝剣岳(2016年10月20日)
       ◆20日午前7時00分 菅の台バスセンター駐車場着
 


  7時15分発の始発バスに乗車することができた。駒ケ岳ロープウェイも8時の始発に乗ることができた。天気は快晴だ。今日は最高の天気だ!



 今回の登山は、年初めから決めていた登山でした。大正2年8月、麓の中箕輪尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那(木曽)駒ケ岳に向かい、天候の急変で嵐に巻き込まれ11名の死者を出しました。その実話を新田次郎が「聖職の碑」という小説に書いています。私の登山は、小説家の影響を受けています。剣岳もそうです。穂高は森村誠一です。ということで、今回のルートは、当時の彼らが歩いたルートの一部を通ってきました。約100年前の小学生たちが歩いたところを通り、慰霊碑でなく「遭難記念碑」にふれてくることが目的でした。彼らが歩いた道とほぼ変わりはないであろうが、天候はまるで違って真っ青な空でした。そんな碑が建っていた場所は、伊那谷や富士山、勿論駒ケ岳を眺める将棊頭山(しょうぎかしらやま)の南面にありました。大正5年に建立された記念碑の脇に、平成16年に建立の同じ刻文の小型の碑がありました。風化して読みにくくなったからでしょう。西方向を望むと、御岳山が悠然と居座っていました。2年前に大噴火した山とは思えないくらい静かで大きな山でした。丁度帰りの車のラジオから、御岳山の慰霊碑を山頂付近と麓に建てることが決まったと報道していたのが偶然だったのかなと・・!


 今回の登山ルートは、距離約10km、積算標高差700mという日帰り登山では普通のルートでした。行き交う登山者が少なかったのと、真っ青な空を独り占めした感じは、贅沢な山行でした。宝剣岳は甘く見ていたけど、山全体が岩の集まりでできている山で、頂上は尖った岩がいくつか集まっているという感じでした。写真にもあるように、直径1mもない岩の上面に立って写真を撮るのが流行っているということでしたが、高いところが好きな私でもやめときました。宝剣からは三の沢、極楽平経由で帰ったのですが、くさり場が多い山でした。断崖が多く大変スリルあふれるルートでした。



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